2005年06月16日
代表監督は本番みんなテンぱるのかな?
いや、昨日の熊の采配を見ててまず思ったのが
「何でよそゆきの采配するかなー」だったんですけど、
じゃあ他のカテゴリーの監督はどうなのかなと思ったので。
自分が覚えてるのはオフト時代以降なのでご容赦くだされ。
オフト(93年アメリカW杯最終予選・予選敗退)
最終予選初戦は4-4-2の基本メンバー。
ただし2戦目イランに負けた後、3トップに変更。
先発メンバーから福田を外して長谷川を入れる。
予選突破はならなかったものの、変更前が1分1敗
だったのに対し、変更後は2勝1分。効果はあったといえる。
当時の主な選手:三浦知良、ラモス瑠偉、柱谷哲二
田中幸司(95年ワールドユース・ベスト16)
システム変更はなかったものの、予選突破の立役者で
あり、トップ下で主将の伊藤卓を「彼はアジアレベルの選手」
との理由で奥大介に変更。
当時の主な選手:中田英寿、松田直樹、安永聡太郎
西野朗(96年アトランタ五輪・グループリーグ敗退)
システムは予選と代わらなかったものの、
チームで唯一高い展開力を誇ったボランチ廣長を
服部に変更し、中盤でのマンマーク要員として抜擢。
ブラジル戦勝利の大きな要因となった。
ただし、そのシステムを予選を通じて続けたことで
攻撃陣から不満が続出。中田ヒデ離反、金子達仁
カリスマ化などの原因となったことは有名。
当時の主な選手:前園真聖、城彰二、田中誠
山本昌邦(97年ワールドユース・ベスト8)
その年彗星のように現れた浦和の永井雄一郎が
柳沢敦との2トップのレギュラーに抜擢されたことと、
予選は中村俊輔のトップ下一人だったのが、
本選では大野敏隆とのダブルシャドー
に変更、明神智和のワンボランチでもの凄い攻撃的
チームになってた。この頃の昌邦はよかったなあ…。
当時の主な選手:柳沢敦、宮本恒靖、戸田和幸
加茂周(97年フランスW杯最終予選・予選中に解任)
ベースだった4-4-2を土壇場で3バックに変更。
3バック時は秋田豊が先発、4バック時は
ボランチに本田泰人が入った。
当初は三浦知良と城彰二の2トップだったのが
呂比須ワグナーが土壇場で帰化が間に合い合流。
1勝1分の後、4バックに戻して韓国に敗れ、
3に戻した後のカザフスタン戦で引き分け解任される。
その後4バックに戻した岡田武司が予選突破に
導くも、1試合ごとにメンバーが微妙に
入れ替わっていた。
当時の主な選手:名波浩、井原正巳、山口素弘
岡田武司(98年フランスW杯・グループリーグ敗退)
本選で3バックに変更。予選終盤にレギュラー
だった北澤豪はメンバーからも外れ、3バックは
中西永輔が小村徳男に代わって入る。FWは
予選の基本だったカズ、呂比須から、城、中山雅史の
2トップに変更。カズはメンバーからも外れる。
守備は機能したものの得点は中山の1点のみ、
結果は3連敗に終わった。
当時の主な選手:中田英寿、川口能活、相馬直樹
フィリップ・トルシエ(99年ワールドユース・準優勝)
予選時の監督清雲栄純が解任されての就任。
メンバーは実に半分近くが入れ替わった。
今回のテーマは従来の戦術と本選とで変更があったか
どうかなので省略。
当時の主な選手:本山雅志、小野伸二、小笠原満男
田嶋幸三(01年ワールドユース・グループリーグ敗退)
メンバー、システムともは全く変更せず。
というよりこのチームは今野泰幸や阿部勇樹などの中心選手が
本番直前に相次いで怪我で離脱したことが痛かった。
当時の主な選手:山瀬功治、羽田憲司、前田遼一
フィリップ・トルシエ(00年シドニー五輪・ベスト8)
予選からメンバーをほぼ固定したものの
オーバーエイジとして楢崎正剛、森岡隆三、三浦淳宏を採用し、
曽ヶ端準、遠藤保仁、宮本恒靖などが代わりにベンチや
メンバー外へ。なお予選のエースだった平瀬智行が
中村俊輔トップ下起用によりベンチ行きとなっている。
ブラジル相手以外では試合をほぼ支配していたこともあり
予選より明らかにチーム力は上がっていた。
当時の主な選手:稲本潤一、酒井友之、中澤佑二
フィリップ・トルシエ(02年日韓W杯・ベスト16)
メンバーほぼ不動。ただし決勝トーナメント1回戦で
突如アレックスと西澤という謎の2トップを採用。機能せず
後半メンバーを元に戻すも時既に遅くトルコに敗れた。
当時の主な選手:明神智和、市川大祐、中田浩二
大熊清(03年ワールドユース・ベスト8)
予選で指揮をとった田嶋幸三が技術委員会就任により辞任。
予選途中から急遽指揮をとる。予選時のエース坂田大輔を
サブに降格、不調の阿部祐太朗、成岡翔を使い続ける反面、
高校生の平山を抜擢するなど物議を起こす。
しかしエジプトや韓国を破るなどチームとしては成果を残した。
当時の主な選手:小林大吾、徳永悠平、谷澤達也
山本昌邦(04年アテネ五輪・グループリーグ敗退)
オーバーエイジとして曽ヶ端準、小野伸二を採用。
小野をボランチにいれるシステムを採用することで
鈴木啓太がメンバー落ち。予選のレギュラー平山相太が
高松大樹に代わる。その後も試合ごとにスタメンが代わり、
阿部勇樹がボランチ、左ウイングバック、センターバックなど
をつとめたり、松井大輔が左ウイングバックをつとめるなど
迷走の印象を強く残す。
当時の主な選手:大久保嘉人、茂庭照幸、田中マルクス闘莉王
ジーコ(05年ドイツW杯最終予選・予選突破)
海外組がスタメンの基本だったが、土壇場で国内組中心に変更。
しかしイラン戦で突如4バックに変更し敗れると3バックに戻す。
その後メンバーも試合ごとに替わり、最後は柳沢敦の1トップを
採用していた。ただし今回は予選の期間が半年近くかかってるため
メンバー変更そのものは他と比較が難しい。
当時の主な選手:鈴木隆行、加地亮、福西崇史
こうしてみると、いじってないケースの方が珍しい。
全くいじくらなかったのは田嶋幸三だけ。
しかも結果を残せてない。
どちらかといえば守備を主体とした変更は
あまり良い結果を残せてない気はするけど。
メンバーやスタメンをいじることそのものが
悪いってことじゃなくて、その状況に応じた
最善の判断が出来るかどうかってことなんだろうね。
オランダ戦も仮に0-0だったら名采配と
いわれたのかもしれないしね。それはトルシエの
トルコ戦もそうだったろうし。西野だってブラジル戦も
負けてたらボロクソにいわれて終了したかもしれないね。
結局は周りに流されず、自分が確信を持った采配が
出来るかどうかが大事なんじゃないかと。
何はともあれ頑張れ大熊さん。ここでグループリーグ
突破できればあなたにも選手にももの凄い良い経験に
なるし、ここで敗退するとトラウマしか残らない。
このカテゴリーで実績残せば、五輪監督だって
ありえない話じゃないんだから。
投稿者 たか : 14:33 | コメント (0) | トラックバック (0)
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