2006年01月13日
加地さん、さようなら。
ガンバ公式「DF加地亮選手ガンバ大阪に完全移籍加入のお知らせ」
ふう。
…わかってはいたけれど改めてプレスリリースを見るとこたえるね。
加地さんを初めて見たのはナイジェリアのワールドユースの時。
彼も実は小野伸二と同世代なんだよね。もっとも殆ど出番はなかったけれど。
その後セレッソでは時折彼を見かけたけれど、大分にいってからは
自分が殆どJ2を見ないこともあり全く消息を知らなかった。
でも当時のセレッソはモリシを中心としたイケイケサッカーが
絶好調の頃で、右からガンガン上がる加地さんは目立っていた。
ウチに来るって話が来たときは正直驚いたものです。
ちょうどその頃うちは右SBに困っていた時でした。
内藤(現サガン鳥栖コーチ)が福岡に移籍したことで本職は小林稔
(現FC東京普及部コーチ)のみだったんですが、
元々守備力に難があり、ガンバの新井場(現鹿島)にギタギタにされました。
うちは当時サイドで安心して任せられるのは左をやっていた藤山のみで、
右を伊藤哲(大分で引退)、小峯(元徳島)などが無理矢理努めていたものです。
そして加地さんを抜擢以来、不動の右サイドバックとして定着します。
タイミングよく石川直宏が夏にレンタル移籍(後に完全移籍)してきたことにより
以後彼と石川のサイド攻撃は東京の名物となります。
そして2003年の10月、例のキャバクラ事件が起きたことにより
当時の代表レギュラーだった浦和の山田が代表を追われたこともあってか
次の代表発表時、初めてA代表に招集されました。チュニジア戦でA代表デビュー
した彼は何度か鋭い飛び出しで、GKと1対1の場面を作るなどアピールに成功。
以後、A代表の右サイドバックとして不動の地位を築くこととなりました。
一時期強化指定の徳永にポジションを奪われかけたり、度重なる代表招集が影響
したのか、この2年の東京でのパフォーマンスはあまり良くなかったなと思う。
でも石川が右サイドでボールをもった瞬間に猛烈な勢いで上がっていく彼が大好きだった。
「加地来い加地来い!」
こう叫んでいた人は僕だけじゃなかったはずだ。
ナビスコ優勝を決めた時のPK、イラン戦での代表初ゴール。
いずれもスタジアムで見ることが出来た。
優勝報告会の彼は本当に嬉しそうでした。
3年間、楽しませてもらったよ。
どこまでも高いレベルを志向するあなたのことです。
ガンバでもすぐに馴染むことでしょう。
元々関西が地元なわけだし健康ランドや温泉探しには苦労しないだろうしねw
明神に負けんなよ。ドイツでは頼むぜ。
劣化なんかしたら許さないからな。
投稿者 たか : 18:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
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