2006年06月30日

ジーコジャパン検証その2~監督編後編~「ジーコジャパンの失敗」

結果を残せなかった

・確固たるサッカースタイル、戦術を確立しようとしなかった
・実績重視で若手を殆ど使わなかった
・五輪、ユースなどと連携が出来ていなかったため
あくまで4年間限定のチームとなった

ジーコジャパンそのものが上記のような今までの代表とは
全く違う独自のチームとなってしまっていた以上、彼らに
とって必要なのは結果だけでした。

彼らが就任当時掲げていたノルマだったベスト8はいつの間に
無かったことにされていましたが、ベスト16は充分に可能な
チームでしたし、それを選手やチームも確信していたからこそ、
敗退のショックが予想以上に大きかったんでしょう。

結果さえ出ていれば、後に一本の草すら残らないにしても、
日本サッカーにとって今までと違うアプローチでの一定の成果
として記録されることになったでしょうし、路線の継続もありえた。
現実は4年間すら無かったことにされようとしています。
そして残ったのは荒れ地どころか焼け野原。

チームを完成出来なかった

ジーコジャパン最大の罪は間違いなくこれに尽きる。
時間が足りなかったとはいわせない。
前任者より20試合も多く試合をこなしているのだから。

同情するところがあるとすれば海外組が増えたことによる
ベストメンバーで試合を組めなかったことが多かったことだけど、
彼はその時点でのベストメンバーにこだわり続け、バックアッパー
の充実を怠った。(必要性に気づいたのがアジアカップ優勝後だった…)

その結果あれだけの試合をこなしながら選手層があまり厚くないという
(試す選手が限定されすぎていた)微妙なチームは、大一番での
田中誠の離脱や加地の怪我などでその綻びを広げてしまった。

宮本、中澤、中田英、中村。彼らの代わりは存在しえなかったし、
第1戦で、坪井が足をつった時、DFの控えは茂庭しか存在しなかった。
しかも彼は2月以来Aマッチに出場していなかったのだから…。
そして宮本のバックアップが唯一出来た田中の離脱により、
宮本が出場停止となると強制的に4バックしか選択できなくなった。

加地が怪我した時も同様。駒野の豪州戦の不出来に批判が集まったものの、
駒野のAマッチ出場歴はそこまでたったの6試合だけ。W杯予選すら
出場していない彼にドイツ戦とマルタ戦の2試合だけで加地同様の
出来を要求するのはあまりに酷だった。

そしてもし加地の怪我が深刻だった場合、代わりに招集できるサイドバックは
日本には存在しなかった。候補としては2年前のオマーン戦を最後に
呼ばれなくなっていた浦和の山田、昨年のイラン戦に出場した神戸の三浦くらいしか
候補がいなかったのだから…。

選手の問題よりも、戦術が固まらなかったことこそが致命的だった。
ジーコジャパンのベストパフォーマンスは大会直前のドイツ戦、コンフェデの
ブラジル戦といわれているけれども、それが彼らのMAXの力だったのかは
わからない。システムも3-5-2と4-4-2を使い分けていたけれども、

・3-5-2→4-4-2のシフトチェンジはあっても逆は試したことがない。
・つまり守備を固めるというオプションは一度もしたことがなかった
・4-4-2で試合が息詰まると、3トップにする以外打開策が存在しない。

この問題が全て表面化したのが最後の3試合だったといえる。
海外組が多くても、システムや戦術を固定させておけば、選手が
たまに合流してもすんなり適当できるもの。

ところがこのチームは宮本や中澤、中村などの個人が戦術に
影響するところが多すぎるため、彼らの不調や離脱がチーム戦術
の瓦解につながる。そのため何の抵抗も出来ないまま敗れる試合などが
何度かあったし、本大会での中村俊輔の体調不良は、チーム力の
大幅な低下となってしまった。

彼自身の成長が遅すぎた。

ドイツ戦やコンフェデのように、このチームはメンタルが良い状況だと
非常に良いパフォーマンスを見せる。チームとしての潜在能力は
もっと高いものがあったはず。

しかしジーコ自身の国内組のあからさまな軽視(巻などの
招集はあまりに遅すぎた)及び半年しか日本に滞在していないにも
かかわらず海外組の視察にも殆どいかず(これをしていれば松井の
状況はもう少し変わっていたのでは)

国内組の充実の必要性に気づいたのはアジアカップ前であり、競争原理の
重要さに気づいたのは本大会数ヶ月前、そして何よりも彼自身が相手に
勝つために最善の努力をすることの必要性に気づいたのが初の非公開練習を
行ったブラジル戦の前だったという悲劇が痛すぎた。

そう、全ては遅かったのだ。

本選ですら事前にフォーメーションやスタメンを漏らすその楽観的な発想。
練習も全て公開。本格的な相手の対策を行ったのは豪州戦の前で、
ブラジル戦前に至っては戦術練習すら行わなかった。

個の力を前面に押し出すというより、一部の個に頼り切るのが彼のサッカー。
戦術練習を重視しなかったのは、組織そのものを軽視していたのではないか。
結果、できあがったのは戦況が不利になると、立ち返るものがなく途方に
暮れるチームだった。

彼自身が日本代表を高く評価していたことは疑いはない。
ただ、それがあまりに過剰だったし、一部選手に大きく依存する方法論。
それ以外の手法を現時点で持っていなかったのだろう。

この方式はブラジル代表ならば充分可能であったろう。
突出した個がゴロゴロいるわけだから。

でも中村はロナウジーニョではないし、
高原はロナウドにはなれない。

彼は敗退の原因の「体格差」と表現したものの
これは言い訳ではなく本心だろう。

何故なら彼は自分のアプローチ方法を信じて疑っておらず
にも関わらずうまくいかなかった原因として、体格差と
判断したのではないか。もちろん、そんな理由で改善するような
簡単な問題ではないことは誰もがわかっているのだけれど。

4年前よりちょっとだけ個の力が上がったかわりに
組織力は8年前以下になった我らがジーコジャパン。

恐らく、僕らは一番逢ってはいけないタイミングで
出逢ってしまったのだろうね。彼とは20年早く、
もしくは20年後に逢えればよかったんじゃないかな。

(7/3追記)
コンディション軽視の問題を完全に忘れていましたw
ケットさんはさすがにわかりやすいですね~。
(blue sky blue「ジーコジャパンのドイツW杯での「敗因」はなんだったのか?」)

っうかW杯に関していえば惨敗の最大の原因は間違いなくこれですね。
リーグが春開幕の日本は秋開幕の欧州に比べW杯に関しては
多少スケジュールに余裕が出来るのでコンディション面で優位に立てる。
これが最大のメリットであり、楽観視してた人の根拠の一つだったはずですが、
何人かのコンディション不良の選手を強行起用したことでチーム全体にしわ寄せが出た。

ドイツ戦でガチで戦って怪我人が続出したマッチメイクに批判が出ていましたが、
あの試合自体は意味があるものだったと思います。問題なのは怪我人が
出ることを想定した対応策を殆どとってなかったこと、そしてそれが大一番で
露呈してしまったってことです。

これはフィジコとの連携にも関わって来るので一概にはいえませんが、
コンディション不良の柳沢、中村をぶっつけで使う発想。コンフェデの
ニュージーランド戦で楽勝の試合展開なのに酷暑の中交代を全く
使おうとしなかったなど、

「勝つための万全の準備体制」
「スケジュールを逆算した戦い方」

この2点に対する意識が致命的に欠けていた。
彼がどこのチームの監督をやろうと、この意識が変わらない限り
厳しいんじゃないのかな…。

投稿者 たか : 09:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

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